「小説家になろう」などに掲載のネット小説でおすすめの完結済作品をご紹介するシリーズ。今回は中村颯希様作『無欲の聖女は金にときめく』をレビューします。この作品は読みやすいファンタジーで、対象になる読者をあまり選ばずどなたでも楽しめます。
何ということもない会話
レビューで『無欲の聖女は金にときめく』を書こうかな、と思ってるんだけど…。
あぁ、前に面白いって言ってたヤツ?「小説家になろう」だっけ?
そうそう、俺は割と再読する方だけど、特にこれは時々また読返したくなる小説だと思う。
へぇ、そうなんだ。それはなんで?
うん、それも書こうと思ってるんだけど…。
『無欲の聖女は金にときめく』基本情報
ジャンル : ハイファンタジー(異世界)
/転移・転生なし
作者 : 中村颯希
文字数 : 932,632(150部分)
転移・転生の無い、現地人のみによる異世界モノです。魔法や精霊のある世界ですが、バトル的な要素は少なく、学園や貴族社会でのお話が中心になります。
軽快で安定した三人称の語り口の、読みやすく豊かな描写が魅力的です。
書籍情報
この記事のレビューはなろう版を基にしていますが、書籍版もヒーロー文庫より『無欲の聖女』のタイトルで、第1巻~第4巻が発売されています。(2019・4現在)
無欲の聖女 1 (ヒーロー文庫) |
無欲の聖女 2 (ヒーロー文庫) [ 中村颯希 ] |
無欲の聖女 3 (ヒーロー文庫) [ 中村颯希 ] |
無欲の聖女 4 (ヒーロー文庫) [ 中村颯希 ] |
書籍版では加筆され、なろう版とはまた少し違って、こちらもおすすめです。
書籍版となろう版でタイトルが違いますが、小説家になろうで連載当初『無欲の聖女は金にときめく』だったのが書籍化された時に『無欲の聖女』に改題、その後なろう版は元の『無欲の聖女は金にときめく』に戻すという経緯だと思います。
おすすめポイント
この小説のストーリーは、下町に暮らす守銭奴でがめつい孤児の少年・レオが何やら訳ありの美少女・レーナと体が入れ替わってしまう事から始まります。
この国では、貴族と一部の平民は、魔力を持っていて、一定以上の魔力を持つ定められた年齢の子供たちは、魔法によって学園に召喚され、学園で学ぶ義務を持ちます。
レーナはかつて国を揺るがすスキャンダルとなつた事件の際、冤罪で貴族社会を追われて行方不明になった侯爵令嬢の娘で、大きな魔力を有してますが貴族を嫌悪し、召喚されるのを嫌がってます。
そんなレーナの提示した報酬につられたレオは身代わりとして、レーナの体で学園にいく事を了承。
召喚された後にレオは、レーナの祖父母にあたる侯爵夫妻に引き取られ、下町での苦労を憐れんだ侯爵にそれまでとは違う幸福な人生を歩めるようにと『レオノーラ』という新しい名をもらい、悲劇の侯爵令嬢レオノーラ・フォン・ハーケンベルグとして入学します。
と、いうのが導入部の設定・プロットですが…。
こういう「入れ替わりモノ」だと多分、周囲とのドタバタや、何とかバレない様にしようとする主人公の奮闘を主題として想像する方が多いのではないでしょうか。でもこの小説は少し違うと思います。
まず、バレない為の奮闘というのは「別に正体なんてバレてもいいんだよ、期間限定の話なんだから」というレーナのセリフで否定されます。
周囲の持つイメージと本人の意識のズレ、というのは有るのですが、それによってまき起こるのは、単にコミカルなドタバタとはまた違う要素も持ちます。
ではこの小説が面白いのはどういう所なのか。
入れ替わりによって主に打ち出されるのは何なのか、をお話します。
見せ場の美しさ
この小説のプロローグでは、学園の生徒達が注視する中、一日遅れでレオノーラが学園に入って来る場面が描かれます。
このシーンは美しく印象的ですが、そこで凛とした佇まいと優美な仕草で見る者を魅了したレオノーラの中身は守銭奴の少年・レオだった、となる訳です。レオは周囲にどう思われているかなどに無頓着で、落ちている小銭を探したりしてます。
「周囲の持つイメージと本人の意識のズレ」によって起こるのがコミカルなドタバタだけなら、周囲の持つイメージというのは、リアクションの理由付けです。ですから周囲の反応に説得力を持たせる為に、主人公がそう思われている事を読者に理解してもらえれば良いので、周囲の人が抱くイメージ自体をそれ程綿密に描く必要はありません。
でもこの小説では、その枠を超えてレオノーラのイメージは、読者自身に訴えかけるように、綿密に描き出されます。そうすることでレオノーラの言動やそれに触れた様々な人の感動が主題の一つとなっています。
この小説は中編くらいの長さで区切りになる話がいくつか続いて全体を構成するのですが、その各話の山場で、レオノーラの言動が対峙する人物の心を動かすシーンの美しさがこの小説の大きな魅力になっています。
プロローグでもそうですが、そういったシーンで、周囲の人がレオノーラに抱くイメージを読者にも共有させている訳です。
個人的には、この辺がまた読み返したくなる理由です。
主人公
ところで、この『無欲の聖女』の主人公は誰なのでしょうか?
普通に小説内で実体を持つキャラで言うと当然レオでしょう。
でも先の点を考えれば、実体を持たない筈のレオノーラこそが主人公だとも考えられます。つまりこの小説ではレオの視点を中心としたコミカルなドタバタと周囲の人から見たレオノーラの美しい物語の両方が、どちらが従になるでもなく両立しています。
この「レオノーラの物語」としても読める所が大きなポイントだと思います。
例えば、入れ替わりの設定がなく周囲のイメージ通りのレオノーラがそのまま実体を持つキャラとして出てくる小説を想像してみて下さい。
それだと無欲の聖女としてのレオノーラをリアリティを持って描き出すのは至難のワザではないでしょうか。ある程度描けても「そんなヤツいねーよ」みたいな反発を食らうのが落ちです。
でも、最初から実体の無いキャラならその辺の問題もありません。
幻であるからこそ、どこまでも美しく、気高く有り得る訳です。
このアイディアは恐ろしくスマートで、丁寧な描写でこれを実現した作者の技量は讃えられるべきだと思います。
虚像の実在性
「実体のない」という言い方をしましたが、それに関して少し作中から引用します。
レオが自分は偽物でも、侯爵夫妻が孫娘に向ける愛情は本物なのだから、それをないがしろにする訳にはいかない、と思い悩む場面です。
それでも、少なくとも今、彼らの視線の先にいるのは自分だった。
レオノーラという虚構の存在も、彼らにとっては揺るぎない現実なのだ。
今こうしてカイが、「レオノーラのために」甲斐甲斐しく差し出してくれる苺の味が、揺るぎない現実であるように。
周囲の人が見るレオノーラの体はレーナのだし、侯爵令嬢なのもレーナです。
ではレーナがレオノーラかというと、やはりそれは違います。
レオノーラは、レオノーラとしての振る舞いがあってこそレオノーラだからです。
レオからすれば、周囲が自分の言動を無欲の聖女のそれとして受け取るのはただの誤解だとしても、周囲の人からすれば、レオノーラがそういう言動をした事自体は、紛れもない事実であり、彼らの抱いた感動は、疑いようもなく本物です。
無欲の聖女・レオノーラは虚像ではあっても、ある意味実在している訳です。
まとめ
さて、後半少し難しい言い方になってしまったかも知れませんが、この小説は、読みやすく雰囲気も概ね明るいので、気楽に読める小説でもあります。良かったらぜひ読んでみて下さい。
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